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【サニタトップの本音と想い⑥】家族と築いた信念と経営の道「家族の想いを背負って」
1902年から続く「人を癒す」家業の歴史

 

インタビュアー
ご家族との関係について、特にお父様やお兄様とのエピソードを教えていただけますか?


津田社長
私は四人兄弟の末っ子として生まれました。子どもの頃は体が弱く、喘息を抱えていて、自力で階段を上がれないほどで近所のお兄さんに背負ってもらって上がっていたこともあります。
そんな幼少期だったからか、家族との結びつきはとても強かったですね。
父は薬の卸業を営んでおり、小さい頃から仕事をする姿を見て育ちました。「人の健康に貢献する」ことが当たり前のように空気感が家にはありました。
母が働いていた店舗が私の遊び場で、まだ内気だった私は友達が少なかったため、家族の中で過ごす時間が心の支えでした。
父のルーツをたどると、京都の叔父、つまり私にとっては大叔父が営んでいた薬局に行き着きます。
そこが津田家の薬業の原点で、1902年から続く歴史があります。「自分は薬屋の家に生まれたんだ」という自覚は、ごく自然に私の中に根付いていました。


インタビュアー
ご家族の支えと、長い歴史を持つ薬業のルーツが、津田社長の現在にしっかりとつながっているんですね。

兄のもとで学んだ現場力と人間力

インタビュアー
お兄様のもとでドラッグストア経営を学ばれていた時期もあったそうですね。


津田社長
はい。一度サニタに入社した後、兄が経営するドラッグストア企業に移り、約10年にわたり現場から本部まで幅広く経験しました。
店長、商品部長、運営部長と段階的にステップアップさせてもらい、実務の中で経営や人のマネジメントを学ぶことができました。
ある時、社内のカラオケ大会で歌ったことがきっかけで、兄から「お前に会社を継いでほしい」と言われたんです。歌を通じて社員たちとの一体感や人望が見えた、と後から教えてくれました。
そういう人間的な面を見て任せようと思ってくれたことが、私にはとても嬉しかったですね。
また、兄弟の中で「自分がやりたい」と明確に言葉にしたのは私だけだった。それが一番上の兄にとっても、決断の後押しになったのかもしれません。まあいろいろあって結果サニタに再度戻ったんですけどね。


インタビュアー
きっかけがカラオケは意外でしたが、人柄や覚悟がしっかりと伝わったからこそ、託されたバトンだったのですね。ご兄弟との信頼関係が温かく感じられます。

“誰かの想いを背負って”生きる

インタビュアー
ご家族への想いは、経営者としての原動力にもなっているのでしょうか?


津田社長
間違いなくそうですね。兄が大変だった時に、父には「兄を助けてやってくれ」「康徳(※津田社長)をあてにしている」と繰り返し言われてきました。
その言葉が、今でも私を動かしている原動力です。人は自分のためだけでは強くなれない。誰かの想いを背負って初めて、覚悟が生まれると思います。
私は父のことも兄のことも今でも大好きなんですよ。だから父や兄の力になりたいと思ったんです。
そのためにも、自分の責任でサニタという会社を成長させ、地域の人々の健康と笑顔に貢献していきたいと強く思っています。


インタビュアー
想いを背負うからこそ、本気になれる——その言葉の重みが胸に響きます。

人生の意味は、自分でつくるもの

インタビュアー
ご自身の人生観にもそうした価値観は影響しているのでしょうか?


津田社長
ええ。父が酔ったとき、「お前は計画して作った子じゃない」と笑って言ったことがあるんです。でも私はそれを、否定的には受け取りませんでした。
むしろ「意図して生まれた存在じゃないからこそ、自分には何か役割があるんだ」と、自然に思えたんです。運命に意味を見出したというより、自分の人生に自分で意味をつくっていきたいと思った。だからこそ、経営の中でも「自分がやるべきこと」を大事にしています。


インタビュアー
ご家族への深い愛情と、経営に込められた想いがまっすぐ伝わってくるお話でした。
「自分の人生に自分で意味をつくる」という言葉には、津田社長の生き方と覚悟が凝縮されていると感じました。

本日は貴重なお話をありがとうございました。

【サニタトップの本音と想い】

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